BEAU MAGAZINE ボー・マガジン。

BEAU MAGAZINE ボー・マガジン。

お手元に取られたBEAU MAGAZINE ボー・マガジン。

フランス初の「コンシャス・ラグジュアリー」をテーマとしたガイドブックです。

196ページの中身全てがエコ・コンシャスを探究しており、最高のクリエーター達によるキュレーション内容と最新アドレスを発掘していただけることでしょう。私達の時代の「美」を追求しています。

この創刊号はコレクター本であり、日本では蔦谷書店のみで販売されるエクスクルーシブ号です。QRコードと共に販売され、いくつかのセレクションされた記事の日本語要訳を読むことができます。

どうぞお楽しみください。

 Charlotte Roudaut/ シャーロット・ルドー編集長


12ページ

BEAU MAGAZINE 創刊号

 

私たちは大胆にも、世の中には世界を変える革新者がいると信じています。私たちは、世界が直面する危機や供給不足の中、前向きな行動を起こす、ちょっぴり頑固だったり、変わり者だったりする人々にスポットをあてて、彼らのストーリーを語りたいと思います。

私たちは、情報が氾濫するノンストップ・ニュースと一線を画して、実際に未来に向かって新しい思想を練る人々と出会ってきました。現実から逃げず、大きな夢を抱き、疑惑を乗り越えてアクションを起こす人々をフォーカスし紹介していきます。新しい価値観を提案するおおらかでヒューマンな活動家たちの素顔を見せていきたいと思います。危機を社会変革の機会に変える好奇心旺盛で、クリエイティヴな人々を支持していきます。そして、新しい美の意識を復活させ、皆様とその「美」を分かち合いたいと思います。

本誌は、自由に表現するために集まったコミュニティのプラットフォームと言えるでしょう。

どうぞお楽しみください。

Charlotte Roudaut シャーロット・ルドー編集長

 

15ページ

LE DESSIN / EIKO MAEKAWA

新しい服を収納する場所を作んなくちゃ、要らない服は寄付しよっと。

あんたらの要らんものは、ウチらも要らん。

ヨーロッパで発生する繊維廃棄物 (洋服、靴、シーツなど)は年間一人当たり12キロ。


30ページ

ART & CULTURE

L’ENGAGEMENT

ジャーナリスト-PHILIPPE AZOURY パリ

パティ・スミス The positive voice                            
パティ・スミスは単なる歌手ではなく、人々の意識を高める“声”なのだ。彼女はミュージシャン、詩人、作家、そして写真家でもある。ここ数年、彼女は環境問題を擁護するためにステージに立つ習慣を身につけた。そして、彼女が憂慮するのは環境破壊と地球温暖化。「政治や宗教、経済をのり超えて、環境こそ、私たち全員が同意できる唯一の要素です。誰もがきれいな水や空気、子供たちのために健康的な環境を望んでいます」

2015年に彼女がパリでPathway to Parisというイベントに出演した際に宣言した言葉である。気候変動対策の緊急性について人々の意識を高めるために行なわれたこのイベントの創設者はパティの娘ジェシー・パリ・スミスとチェリストのレベッカ・フーン。トリアノン劇場で開催されたこの催しには音楽家、活動家、芸術家、学者、政治家が集まり、ライブストリーム配信も行われた。国連気候変動パリ会議の開催に合わせて行われ、トム・ヨーク、フレア、350.orgの共同創設者ビル・マッキベンなどが出演した。「破壊されたものだけを見るのではなく、維持できるものや再構築できるものに関心を持つ必要があります。物事を改善するのに遅すぎるということはない」とパティ。

彼女はどのようにして環境問題に興味を持ち出したのだろうか。ダライラマとの出会いがきっかけになったのだろうか。「ダライラマと会ったときに、彼にこう聞きました。若者が最も力を注ぐべき課題は何ですか、という質問に彼はこう答えたのです。“チベットのフリーダムではなく、地球環境保護です”と。彼の言葉の意味を本当に理解するのに時間がかかりました」(2012年L’Humanité誌より)                  

詩と文学を愛するパティは都会の雑音から離れた場所で新しい本を書いたり、愛しいランボーの詩集を読んだりするタイプだ。これまでに、ロック・ポップス界のスーパースターが集まる社会的なイベント、例えば1980年代のチャリティー・プロジェクト“バンド・エイド”などにも実は参加して いない。彼女の娘ジェシー・パリ・スミスの影響でパティ・スミスは本格的に環境問題について関心を持ち始めたと言える。実は、2000年代までは、パティも亡くなった夫(偉大なギタリスト、フレッド・ソニック・スミス)も娘もこれといってこの問題について特別な関心があったわけではない。環境問題について視線をむけたのは彼女の娘が15歳になった時だったとか。ジェシー・パリ・スミスが学校の新聞のために記事を書こうとしていた時に、内容が思いつかず、真夜中に家を出て、ネタを探すために新聞を買いに出かけた時。地球温暖化とその災害を取り上げる長い記事を見つけ、この問題についていろいろとリサーチした。激怒した彼女は翌日学校の先生と会って、中学校でこの題材が全く取り上げられない理由を聞いた時である。10年後、ジェシー・パリ・スミスとパティはPathway to Parisで再会し、一緒にこのフェスティヴァルを盛り上げた。グリーンの活動家が集まるこの大きなイベントのためにパティ・スミスは自分のコネクションとオーラを最大に活かしている。    

「私たちはロンドン、パリ、ブエノスアイレス、モントリオールでコンサートや会議を行い、ニューヨークのメトロポリタンで詩の朗読会を行いました」そして、2020年4月26日に、COVID-19によるロックダウンの中、パティ、ジェシー・パリ・スミス、そしてレベッカ・フーンはPathway to Parisのヴァーチャル・ライヴストリーミング・フェスティヴァルを開催し、コンサートや討論会はPathway to Parisのインスタグラムを通して配信された。この催しにはそうそうたる面々が参加し、キャット・パワー、ジョニー・デップ、ジム・ジャームッシュ 、ベン・ハーパー、マイケル・スタイプなど豪華キャストが集結した。そして同年の6月、世界環境デーにはパティ、ジェシー・パリ・スミス、レベッカ・フーンは350.orgと一緒にヴァーチャル・フェスティヴァルを企画し、2021年10月31日にはグラスゴーで、COP26の際に新たなPathway to Parisイベントを行った。パティがこの日、最後に歌った曲は彼女が1988年にリリースしたアルバムDream of Lifeの名曲People Have the Power。 夫フレッド・ソニック・スミスと一緒に手がけた曲であり、今や、環境問題を語る上で最も適して  いるメッセージソングだと言える。

2023年1月23日までパリ、ポンピドーセンターで“Evidance, Soundwalk, Collective & Patti Smith 展“が行われる。

 

38 - 41ページ

ART & CULTURE

LE PHÉNOMÈNE

ジャーナリスト-EKO SATO東京

写真-ANJU

新しい本文化への挑戦

あらゆるものが非物質化されつつある今、 本は人の好奇心を開花させる窓であり、本とのフィジカルな接触を提唱している人物がいる。この先駆者は蔦屋書店の創業者、増田宗昭氏。すべては1983年大阪で始まった。ファッションメーカーで10年間開発などを手がけた後、増田宗昭氏はある直感に従い、退社を決意し、TSUTAYA を創業した。

根底にあるのは“ライフスタイル提案”。音楽レコードと映画ビデオのレンタルに、本の販売をミックスした TSUTAYAを立ち上げた。

「ファッションの仕事をしていて、“人はファッションではなく自分がなりたいスタイル、つまりライフスタイルを求めている”という考えに至りました。ライフスタイルが最も顕著に表れているは、映画・音楽・文学などの文化です。ただ、当時は音楽を聴くためにレコードを買う必要がありましたが、若い世代には高価なものだったので、誰もがキャベツをムシャムシャ食べるがごとく音楽を自由に聞けるようにしたいと思ったのです」1983 年 3 月 24 日、大阪の枚方市で一号店がオープンし、大衆的で気軽に入れるTSUTAYA の数は急速に増えた。

そして2011 年 12 月 5 日に代官山蔦屋書店を立ち上げ、話題を起こした。代官山は高級住宅街ということもあり、非常に静かな地域である。市内中心部にあり、有名なデザイナーの高級ブティックや、若い前衛的なクリエーターの店が共存する、いわばブルジョア・ボヘミアンな街なのだ。中高年層が住んでいる物価の高い地域であり、また、創造的な起業家が投資を夢見る場所である。

 グランドオープン以後、たちまち代官山蔦屋書店は街の人気スポットとなり、今もなおその姿をとどめている。この敷地は何年も使われていない状況で、森のようにも見えた。工事後、この真新しい 建物を初めて目にする人のまばゆい視線を想像してみよう。およそ12,000m2 の敷地。全長55mのマガジンストリートが屋内外を跨ぎ3棟を結びつけている。建築はクライン・ダイサム・アーキテクツが設計した。彼らは後に大阪にあるカルティエのブティックの立体的なファサード設計でも話題を呼んでいる。代官山蔦屋書店の洗練されたファサードはTSUTAYAの頭文字、小さなTで美しく構成され、ビジュアル・アイデンティティは、無印良品のアーティスティック・ディレクター、原研哉氏が手がけた。広く、エレガントで明るい建物だ。巨大な書店を作ることで、増田氏は経済の現実に逆行するビジネスモデルを構築しようとしたのだろうか。

もちろん、この書店の見どころは街行く人の目を奪うファサードだけではない。革新は内部に続く。ここでは、従業員は機械的に「いらっしゃいませ」と叫ばない。客の居心地よさと好奇心を刺激するためにすべてが考え抜かれている。店内に並ぶ商品の選択は鋭い。最新の本、過去の懐かしい音楽、フランスでは無名の最新インディーズ雑誌、珍しいレコードなど、他では見られない商品が販売されている。どのブースを見ても、例えば自然に関する本のコーナーでも、新しい発見がいくつもできる。「現在は、本や雑誌はインターネットで購入する人が増えています。ただ、フィジカルな空間 だからこそ、自分が本当に必要としているコトはなにかを発見することができます。インターネットでは代替できない体験を提案するのが蔦屋書店です」と増田氏。探検する度に新しい発見を提案する蔦屋書店。店内にあるスターバックスコーヒー、そしてラウンジ“アンジン”では、購入前に本を楽しんだり、店内で散歩しながらコーヒーを飲んだり、様々な場所に置かれた椅子やアームチェアに座って読書をすることができる。

光のバランスにも力を入れ、さまざまな数えきれないほどの工夫を凝らしている。自然光だけでなく、店内照明に対するこだわりが見られる。大きなガラス窓から日差しが入り、店内では柔らかな 光を生み出す。「世界の雑誌が並ぶ“マガジンストリート”には、ぼんぼりがついた平台を使っています。このぼんぼりによって、本だけでなくそれを立ち読みする人も美しく浮かび上がらせます。蔦屋書店では、ここに来る人達もまた風景をつくる美しい要素です」と増田氏。

蔦屋書店は大きな成功を収め、現在、日本人の 2 人に 1 人が、Tポイントカードを持っている。 蔦屋のフランチャイズ本部であるカルチュア・コンビニエンス・クラブは現在、中国に 4 つの蔦屋書店を展開し、また、昨年の 7 月にマレーシアにも蔦屋書店をオープンした。

世界で最も美しい書店のひとつと考えられている代官山書店は、2012 年の World Architecture Festival Awards や 2013 年の Wallpaper* Design Awards など、さまざまな国際的な賞を受賞した。

そして2017年、コンセプトをさらに一歩進め、銀座に新しい店を開いた。かつて作家の三島由紀夫 や画家の藤田嗣治が通ったこの地区は、贅沢と文化が入り交じり、いわばシャンゼリゼ とサン・ジェルマン・デ・プレを足して二で割ったような街である。新しい書店は”ギンザ シックス” の6 階にあり、アート全体に専念している。増田氏はアートを民主化しようと考え、銀座蔦屋書店では書籍、雑誌、展覧会など、日本の工芸品に特化したコーナーまである。

 常に一歩先を行く増田氏。“個人時代”をキーワードとして、最近、都心の中心街、渋谷のスクランブルプレイス向かいにある蔦屋書店でコワーキングスペース“SHARE LOUNGE”をオープンした。

「コロナ禍で、蔦屋書店では人文、特に哲学書が今までになくお客様に買い求められました。これからの時代のキーワードは“知的資本”と“個人”だと考えています。人は企業や組織に役割を与えられるのではなく、自分の役割を自分で決め、役割を持つ人同士がコミュニティをつくり、価値を つくっていきます」と言う。TSUTAYA や蔦屋書店では、そんな個人をインスパイアする新しいタイプの仕事場を展開している。渋谷の“SHARE LOUNGE”では息を呑むような街の景色、自由にアクセスできる書籍、バラィティ豊かな軽食や飲み物が満喫できる。

新しいコンセプトを都市から遠く離れた場所で立ち上げるとしら、増田氏はどんな夢を抱いているのだろうか?

「個人や個人の共創を支援できる場をつくっていきたいと考えています。できることなら、そのような共創の場をどこかの森の中につくりたいと願っています。森の中にいると、自分に向き合うことができるとも思っています。そして、自然が豊かな環境は知的生産に良い影響を与えます。そんな森の中で、自立した個人が主体的に誰かと手を取り合って新しい価値を生み出すような場をつくれたら最高だと、夢見ています」

 

50 - 51ページ

ART & CULTURE

L’IMMERSION

ジャーナリスト-EKO SATO東京

森林に対する哲学的なアプローチ

バティスト・モリゾはオオカミやヒョウを追跡する哲学者。野生の動物の足跡や毛を追い、動物がどのように縄張りを占めているか、他の動物とどのように共存しているのか、その論理を学び、平衡に人間と生物の共存について考える。

彼の新しい本 “S’ENFORESTER” では、同じアプローチで森を探検しながら森林と人間の関係を研究する。この本を書くために彼が訪れたビアロヴィエザの森はポーランドとベラルーシの間に位置し、ヨーロッパで最後の原生林のひとつだと言われる。大陸の森のほぼすべてが中世の時代に伐採された中、ビアロヴィエザは本来の森の在り方を研究するに最適な場所である。モリゾは写真家であり地理学者でもあるアンドレア・オルガ・マントヴァ二と共に、千年以上前の自然に似ているこの環境を探検し、理解するために旅に出かけた。人間を含むすべての生物種は、一つまたは複数の祖先を共有し、その子孫を受け継いでいる。しかし、モリゾによると私たちに栄養を与え、私たちの居住性を構成してきた森林は今や無視されている。古典的で西欧的な観念では、人間は生物や自然よりも優れている。彼はその視点を疑い、この本を通して、生物としての人間のあり方について考え直す必然性を語る。この本は世界の見方を一変させてくれる一冊なのだ。

 

68 - 70ページ

VESTIAIRES

LA SUCCESS STORY

ジャーナリスト-LAURENCE DELEBOIS ニューヨーク

エコでフレンドリーなコインランドリー

“セルシウス”はニューヨークにこれまでなかったクールでエコフレンドリーなコインランドリー。  設立者のコリナとテレサ・ウイリアムス姉妹は幼いころからエコロジックな建材で建てられた家に  住み、オーガニックフードで育った。

このプロジェクトのアイディアが生まれたのは、コリナがニューヨークに引っ越した時である。 ドイツ版ハーパースバザーの特派員としてニューヨークに移り、アパート探しをしていた時に、この街のほとんどの貸しアパートには洗濯機がついていない事に気づいた。「ニューヨークは夢が実現する街として有名ですが、清潔で快適なコインランドリーが見つからない街なのです。その時に、快適なコインランドリーを立ち上げるアイディアが湧いたのです」コリナは、当時ロンドンでデザイナーとして活躍していたテレサを巻き込み、二人でこのプロジェクトを立ち上げた。                                                                

「ニューヨークで新しいレストランを開くのは珍しい発想ではないのですが、コインランドリーを  オープンする事は大きな挑戦です。いったい、どうして立ち上げるのに三年もかかったの?とよく   聞かれますが、それは必要な許可を得て、パートナーを見つけて、効率が高く、エネルギーをあまり消費しない機器を見つけるために必要な時間でした。また、コインランドリーをオープンする最高の場所を見つけるのにも時間がかかりました」

最終的に姉妹が選んだ場所はクリエーターや起業家が集まる地域、ウイリアムズバーグ。ブルックリンの雰囲気に負けない、クールなコインランドリーを開くことが出来た。

テレサは1階のオーガニックコーヒーブースを木製パレットでデザインし、スタッフのエプロンは、環境に優しく地元で作られた服を手がけるデザイナーのインガ・レナに依頼した。待機するお客様のためにパティオを作り、店内のポップアップスペースでは定期的に若いクリエイターブランドを取り扱う。毎週金曜日にはお客様による2時間のDJイベントも企画する。清潔で居心地も良く、インスタグラムでも人気のあるコインランドリーだ。店内の奥では乾燥機が回転する音が聞こえていても、いわば地球にやさしい、新しいスタイルのクラブのような場所なのだ。

 

94 - 97ページ

HOSPITALITES

LA FILERE

ジャーナリスト-CHRISTELLE GILABERT ルーアン

最高の麦

フランス北部に位置する都市、ルーアンから10キロほど離れた広大な麦畑。収穫時期なのに、農業機械が見当たらない。15名ほどの人々が頭をかがめ、鎌を手に忙しくしている。

園芸家、教師、ミュージシャンやエンジニアによって設立されたこの団体は、2019年から毎年、参加型の収穫を行っている。古代麦の重要性について、地元住民や市民の間で意識を高めるために 設立されたTRITICUM協会のメンバー達だ。この団体にとって、不安定な生態系の中、古代麦の 栽培は、土壌と生物を保護する上で非常に貴重である。

「私たちは温暖化する地球への解決策を考えています。産業化によって、古代種子とそれらに関連 するノウハウはほとんど姿を消しました」と説明するのはこの協会の設立者シモン・ブリドノ。

古代麦の場合、畑から食卓まで、加工の各段階で正確な作業が必要とされる。その作業は品質や時期によって変わるため、手作業でするしかない。機械化は不可能だが、材料とエネルギーの面でより 経済的なのだ。「必然的に道具を使うとしても、土壌や環境に適応した道具を使うことが重要です」と語るのは農学者のヴァランタン。「高度な機械化は、人間と土地の繊細な繋がりを断ち切っている」とつけ加えるのは種子職人のリュック。

これらの種子はより素朴で抵抗力があり、根が深いため、水が少なくても育つ。また、栄養価も高く、そしてよりおいしい。

種子を見つけるために、TRITICUM協会は仏農業・食品・環境総合研究所の種子貯蔵所や近隣の農家と直接やり取りをしている。現在、彼らは200種類の種子を収集することができ、この多様性は、生物の再生と農家の自律性の両方に貢献する。現代の小麦の搾取は、実業家によって特許を取得している。古代種子の場合、権利がなく、ロイヤリティを払う必要がない。現在200名のメンバーを超えるTRITICUM協会は、農家、職人、市民、研究者の助けを借りて、品種を再導入し、共同でこのプロジェクトを試行し前進させている。3月には8人のパン職人を集め、12種類のパンを一緒に作った。

「これが協会の強みです。種子から完成品までのこのグローバルなアプローチで、消費者を含むすべての関係者を一つのテーブルに集めています。こうして、農家、製粉業者、職人、研究者、そして  市民が参加し、手を取り合って作業する参加型収穫を行っています」

 

94 - 97ページ

HOSPITALITES

LA TABLE REGENERATRICE

ジャーナリスト- EMMANUELLE DASQUE リスボン

無駄 0% 調理100%                                 

リズボンに“ SEM”というユニークなレストランがある。ニュージーランドの天才シェフ、 ジョルジュ・マックレオドとブラジル人のパートナー、ララ・エスピリトが運営するこのレストランでは野菜の皮から装飾まで、何も捨てず変容し、リサイクルされる。ちょっとした発明家であり、美食家でもあるこの二人にとって、未来の鍵は消費を別の視点で認識するところにある。

「無駄は想像力の欠如に他なりません」これはロンドン初の無駄のないレストラン“SILO”の創設者の言葉である。ジョルジュが数年間働いたレストランであり、リスボンに自分のレストランを設立するきっかけにもなったのだ。ジョルジュはこのフレーズをよく引用する。 “SEM”はポルトガルでは、“ない”という意味。英語で言えば“WITHOUT”にあたいする。このビストロはアルファマという観光地の丘にあり、オープンキッチンの棚には植物や果物が発酵する巨大な瓶が並んでいる。ワインバーの床は古いスニーカーの靴底をリサイクルして作られている。そしてこのレストランにはゴミ箱がない。唯一あるのはキッチンのコンポスター(生ゴミ処理容器)だ。

「食品を最大限に利用しています。よってコンポスターには切りたての玉ねぎやニンジンの皮は捨てません。それらはソースやスープの出汁のために使っています。料理学校に通っていた頃、野菜の皮を完璧に剥く練習をさせられました。失敗するとニンジンは即座にゴミ箱に捨てられていたのです。そのアプローチにはとても賛同出来ませんでした。完璧にカッティングされたニンジンなんて意味がない。形よりも質感や味が大事でしょう?」とジョルジュは言う。

このレストランではパン、バター、そしてリコッタも自家製である。「半年かけて再生農業を行う農家や生産者を探し、選びました。彼らと定期的に話し合い、リサイクルのより良い方法を一緒に考えます。例えばカキ養殖業者とは、次のことを考えました。我々は調理後のカキの殻を業者に返却し、業者はそれらを海岸に戻します。こうしてカキの殻は、新しい海洋生物にとって優れた生息地になるのです」とララは説明する。

2021年にオープンして以来、“ SEM”はポルトガルのベスト100のレストランに仲間入りした。お客様もこのレストランの哲学とも呼べる“味覚の喜びと環境への配慮”を支持している。「世界について別の考え方を持たなければなりません。そして、それは私たちのお皿から始まります」とジョルジュは言う。

104- 105ページ

LES FOOD-TROTTEURS ザ・ソーシャル・フード

シャーリー・ギャリエとマチュー・ズゥハイリは、The Social Food としても知られている。彼らは、二つの情熱を持ち合わせている。おいしい料理と旅行である。どこに旅に出ようと匂いを嗅ぎ、テイスティングして食べる、時には手づかみで、自分たちの目で現地の素材を発掘する。そしてたくさんのレシピと様々な料理人達の秘訣と共に、帰国の途につく。ザ・ソーシャル・フードがボー・マガジンのために毎号レポートしていくシリーズの企画第一弾は、「櫃まぶし」余ったうなぎの蒲焼を刻んでご飯の上にのせた伝統的な日本料理である。1ヶ月に及ぶフード・トリップで味わった最高のレストラン、名古屋にある「あつた蓬莱軒本店」一目惚れのアドレス。 

  • シャーリー・ギャリエと息子、東京にて
  • 蒲焼
  • 帰国時のスーツケース
  • 炭火のあと
  • 名古屋の電車の中
  • うなぎの身を丸めての串刺しにする
  • 外、レストランへの配達
  • うなぎのたれにうなぎの身を漬ける102ページ

 

102ページ

LE BEAU DE…

ジャーナリスト- CHARLOTTE ROUDAUTパリ

写真:THE SOCIAL FOOD

アレクサンドル ・ゴティエ                                  

ラ・マドレーヌ・ス・モントルイユ(パ・ド・カレー県)にある二つ星のシェフ。「ラ・グルヌイエール」のオーナー、アレクサンドル・ゴティエは、地元産の食材を使った斬新な  料理の体験を生み出している。彼のクリエーションと信念は、ガストロノミーを通して表現されている。包丁は料理人の「顔」そのものだ。アレクサンドル・ゴティエが、その真相に迫る。

「日本では、熟練の寿司職人になるには40年かかると言われています。食材の切りつけは、神聖的なことと解釈されています。私の包丁は高村刃物製作所から贈られたもので、高村家は7世代に渡り精妙類いない刃物を製作しています。一本一本数十時間をかけて造り上げ、形成し、磨き、手仕事で組み立て、このすべての工程は、福井県越前市にあるアトリエで仕上がります。私のダマスカス包丁は、刃の部分を硬い銅と柔らかい銅を重ね合わせて創られています。このクリエーション手法は、祖先から代々築き上げられてきたもので、武士の時代から伝わる剣の製法技術です。高精度な技術と無限の忍耐力が必要であり、かつデリケートで切れ味の良さもその特徴です。決して他人に貸し出すことはせず、片時も離れることはありません。私の手中に収まり、私の動きをキャッチし、時には先取りしてくれるのです。実際、包丁は作家の羽ペンのようなものです。それは間違いなく自分自身の署名なのです」


136 - 143ページ

INTERIEURS

LES FAISEUSES

ジャーナリスト-EMMANUELLE DASQUEリスボン

写真:SANDRA VUCKOVIC

ポルトガル ニューウェーヴ

彼女達はコラボレーションを生み出し、サヴォア・フェール(職人技)をアピールしながら、自身の国の伝統と現代の間に繋がりを織り込む。

デザイナー、または建築家の彼女たちは、イベリコ半島に長きにわたり根付くクラフツマンシップの遺産を、よりモダンに継承させている。それは美しくて、オーセンティックだ。

ここで紹介するポルトガルの女性コミュニティーは、数年前から自分たちの国の職人のカルチャーを守ってきた。情熱を持つ若いデザイナー達に投票し、「手仕事」によるクリエーションを再度結び付けている。彼女たちは美しくて、オーセンティックなものに対する情熱に駆られ、同じ思いを共有する。私たちは、そんな活動家達に会いに行った。

 彼女たちは1974年の革命の直前と直後に生まれ、それはほぼ50年に及ぶ独裁政権が終わった時代でもある。独裁者 サラザールの下では、女性には手工芸の学習が義務付けられた。ポルトガルでは籠細工、織物、陶芸品が今も多く残されている。

伝統工芸士が次第に姿を消しつつある時代に、彼女たちはそれぞれ独自の方法でノウハウを継承し、次の世代の職人を確保するために取り組んでいる。ローカルで持続性のあるものにこだわって、各オブジェが彼女達の目を通して新たなストーリーを語っていく。

 

138 – 139ページ

フェリパ・アルメイダ

キュレイター兼コレクター

彼女のスタジオは、宝物でいっぱいのラビリンスのようだ。伝統的な人形やポルトガル南部で見つけた手描きの皿やキャンドルホルダー、そして若手デザイナーや職人とのコラボレーションによる新作も紹介する。毎シーズン、このコレクター兼キュレーターはテーマを選び、そのテーマに基づいてヴィンテージ のオブジェとその機会に作成されたオリジナル商品を展示する。リスボンで生まれたこの情熱的なビンテージハンターは、人生最初の30年間を外国で過ごしてきた。「私は自分の文化とユニークなつながりを持っています。ポルトガル語が話せるので職人さんとお話ができますが、これまでに見たことのなかった作品を発見すると、素人のようにいつもワクワクしています」

 

140ページ

ファティマ・ドゥルキ & アストリッド・スザノ

ノウハウを伝承するデュオ

Passa ao Futuro過去から未来へ。ここで紹介する非営利団体の名前である。その設立者ファティマ・ドゥルキとアストリッド・スザノはポルトガル系アメリカ人の建築家。彼女らの任務は地元の  職人と国際的なデザイナーのリンクを作ること。彼女たちは展示会やワークショップ、また、様々な村でアトリエを開催し、そのノウハウを伝える  活動をしている。これまでにすでに大きな成功を収め、中では「ピコ」と呼ばれる籐のアームチェアが挙げられる。デザイナー、 ミゲル・ソエイロによるこの椅子はフェルナンド・ネラスによって手織りされている。「テンポ」と呼ばれるランプはクリスチアン・ハアスによるデザインで、イザベル・マーティンズが手がけた商品だ。各作品には、作業時間、原産地、素材の説明、特徴が書かれた小さな名札が付いている。


141ページ

 

ロサ・ポマル

糸の活動家

ロサ・ポマルはセラ・ダ・エストレラの山と、リスボンで経営する毛糸屋“レトロサリア”を往復しながら時間をすごす。著名画家フリオ・ポマルの孫娘である彼女は、反抗的で知的だった家族の女性たちの影響を主に受けて育った。中世史を専攻に学んだ彼女はイラストレーターになることを夢見ていたが、ウールとニットウェアに情熱を注いでそれを自分の仕事にした。ポルトガルのニット技術をテーマにした彼女の本はベストセラーである。現在彼女は100% 天然のポルトガル糸をおよそ十種類提案している。   

「私はブリーダーの協会や小さな工場と協力しながら手作り糸を製造しています」と言う。彼女は同時にオリジナルのニットウエアも販売している。

また、活動家の彼女は絶滅危機品種の羊の保護や、より生産的な外国産の台頭に脅かされている状況と戦っている。「私の毛糸玉のコレクションを通して強調したいのは別の消費方法です。私のメッセージは“Less but better”です。少量でも良質なものを消費することにフォーカスしていきたいと思います」


142 – 143ページ

カタリナ・ポルタス

ザ・パイオニア

15年前からカタリナは、国の文化財保護のために戦ってきた女性

 「母が見本市や市場で物色して持ち帰った、様々な伝統的オブジェに囲まれて私は育ちました 。それは私に深い印象を与え、いまだに手作りの美しさに惹かれています」

カタリナ・ポルタスはポルトガルで15年前から文化遺産の保護者として活発に活動している。元ジャーナリストの彼女は、多くの象徴的な古いブランドに命を吹き込み、話題を呼んだ。

ヴィアルコというメーカーの色鉛筆、クトというメーカーの歯磨き粉、コンフィアンサの石鹸など。それらの商品は彼女が立ち上げた象徴的な店、“ヴィダ ・ポルトゥゲサ“で販売されている。

現在、彼女は最高のデザイナーが集まるポルトガル・マニュアルというプラットフォームと協力して、リスボンに400m2のコンセプト ストアを立ち上げた。かつて鋳造所だったこの場所は工芸品専門の店に変身し、古い陶器やT シャツから織られたカーペット、または伝統的な手刺繍の衣装など

販売される。ショップと美術館の合間に属するこの明るい空間で、まもなくカフェもオープンする。このコンセプトストアでは昨日のノウハウと明日のクリエイションがクロスオーバーする。


144 – 148ページ

LES IMPARFAITS

不完全なもの

LES SIGNES DU TEMPS

時代の象徴

写真:DENIS BOULZE

スタイリング:CHARLOTTE HUGUET

 

“未完成のものが大好きです。壊れているものに惹かれます”

― シャーロット・ユゲ

完璧な美とは?

修復され、縫い上げられ、貼りなおされ、パッチをあて、再使用し、手直しする、様々な物は再度蘇る。一見加工の跡が見られる平凡なオブジェが、新しい視線を通して特別なものに再生する。そして物語は書きつづられていく…

  • ヴィンテージのお皿
  • ハサミで切り取られたタイツ
  • 燃えたリネンのキッチンクロス
  • <B級品>の花瓶、Marion Graux Poterie 作
  • Petit Hの生地を接着剤でつけたリボン付き
  • アスティエ・ドゥ・ヴィラット」の修復されたピッチャー
  • 不揃いのヴィンテージのフォーク
  • 穴の開いたレペトの靴
  • 次のページ:縫いつないだヴィンテージのタンクトップ 

“私は無駄のないものが好きです。” ― CHARLOTTE HUGUET

 

178 - 180ページ

ヴァラム エアラインヘようこそ

彼のベストセラー本「パリVS ニューヨーク」は、10年前のお勧めギフトの一つとして間違いなく位置づけられているだろう。でもそれはヴァラム・ミュラティアンが日本を訪れる前のこと。

彼は日本を発見し、惚れ込み、この国こそ彼の趣味に一番合う場所だと感じた。日本はまさに彼の情熱が凝縮されている国なのだ。

そして今、ヴァラム・ミュラティアンは、ポエティックなアンチガイド「Va au Japon (日本に行く)」を、出版した。日本に対する個人的な印象が集まる一冊だ。

2020年3月、外に出られないロックダウンの期間中、家の中で閉じこもっていたデザイナーのヴァラム・ミュラティアンは、新しいスタイルの旅行を想像した。鉛筆を手に取り、今一番恋しいと思う国日本についてイラストを描き始めた。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策がどの国よりも厳格だった日本。「もう正直また戻ることはできないかもしれないと…思いました」と回想する。

初来日は2013年。ベストセラー「パリVS ニューヨーク」の日本語版が出版された時。

「33歳の時でした。ここまで来るのになぜこんなにも長く待っていたのだろうと、自分自身に問いました。沢山の情熱が、沢山詰まっている。タイポグラフィー(植字工)、サイン、グラフィックデザイン…言葉、文字合わせ、ロゴなど、自分がこの仕事をするきっかけとなった要素がすべて日本にありました」

また、日本は彼の子供時代の中にも存在していた。1980年代の「ゴールドラック(グレンダイー)」、たまごっち、カシオの計算機、パックマン、オリーブとトムは、彼の想像力を掻き立てた。

「バーチャルを通してすでに知っていた世界に、ノスタルジーな気持ちを覚えました。謎めいた魅力的で、モダンな実験室のような世界でした」

初来日の7年後、彼はどのように日本を描いたのだろうか?

アイディア発想元は、しりとりである。子供達の言葉遊び、たとえば “三匹の“、”小さな“、”猫“という風に韻を踏み音の響きが徐々に跳躍していく。イサム・ノグチの和紙のランプから始まり、反響に合わせてページをめくるごとに、イメージと単語がエピソードを醸し出しストーリーが続いていく。構想スケッチから2年を経て「Va au Japon (日本に行く)」を出版した。本のタイトルには、読者を日本にリアルに連れて行くという意味も含まれている。長旅をする感覚で、新幹線の車窓から見える生活の風景を、彼のイラストで味わうことができる。未来的なスタイルの新幹線について「TGVより安定感があり、静粛性がある」と言う。そしてヴァラムは更に夢を膨らせる。子供の頃に車窓を見ながら夢想することが、一番好きな時間だった。列車、船、飛行機の小さな窓越しから見える景色のすべてを愛した。

「当初はこの国へのオマージュを表現し、イラストで日本への愛を宣言したかったのですが、鉛筆がどんどん夢中になり始めて、そして段々と膨らんでいきました」このクリエーションのプロセスを、今も楽しんでいるとヴァラムは語る。

読者は少しずつ彼の旅の道連れとなり、ヴァラム自身にもなる。

「タクシーを捕まえて、ドアが開く、すべて自動、すべてが魔法のよう」

そして行き先の大阪へ。「映画セットのようなヴィジュアルを楽しむために」

このガイド本には住所が全く載っていないのに、様々なエピソードを読んでいくうちに、ヴァラムが紹介する場所を訪れた感覚を覚える。彼が入った旅館に行った気分になる。「突然、北野武の映画の中にいる錯覚を覚えます。存在と時間の枠を超えた次元に入った気分になるのです」とヴァラム。

直島を散策してコンテンポラリーアートの最高の体験をしたり、カプセルホテルで眠って典型的な日本人に究極な親しみを覚えたり、美しい懐石料理を味わったりする喜びなど…

夢想するために、すべてをリアルに観ることは本当に必要なのか。それは確かではないのでは?

 

SON PASSPOSRT AU JAPON

彼の日本へのパスポート

滞在期間

最低でも3週間

交通手段

電車、自分の足と地下鉄

お気に入りの言葉

「すみません」、日本はいつも謝罪の言葉を使っている

 東京っ子としての儀式

「てっぺん」に行く

中目黒にある居酒屋、隠れドアから入店し、生の魚が運ばれてくるとみんなが歌い出す

絶対におすすめの散歩

目黒川沿いの桜並木

戻った時の感覚

身体と意識のギャップ

日本では場所によって雰囲気がガラッと変わる

日本から帰って来るといつも新しい気持ちになる


183ページ

サラ・リン & クリストフ・ルメール

 彼らの音楽は、自分たちのコレクションと繋がりが深い。

自分たちの表現であり、そして時間とのつながりの表現でもある。

彼らはアヴァンギャルドなエレクトロからニュー・ウェイヴ、ガラージとアフロ・ロック・サイケデリック音楽などを探究。

ファッション・クリエイターのデュオによる、ワールドワイドでバラエティーに富んだ音楽のセレクション。

 *ページ内のQRコードから、Spotify を通してプレイリストを楽しめます。

 

 

 

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